「帝紀」「旧辞」の『ホツマツタヱ』などヲシテ文献を読み解く!

『古事記』『日本書紀』の漢字翻訳前の原書が『ホツマツタヱ』です!

わが国の縄文建国の文明を是認すること。

考古学の発掘調査の結果をまじめに見たら、わが国の漢字以前の時代に大文明の存在のあることは、

たしかです。

それを、どうしても認めたくない人たちもまだまだ多くいます。

漢字が渡来してから文化・文明が出来たという、虚構にがんじがらめにされてきていた、

そんな人たちです。

それは、漢字以前に大文明があったなんて、隠蔽したいものですね。

絶対このこと・隠蔽です。土の中に、隠蔽です。

それで、実際の発掘調査と、漢字文献の旧来の文献学との間に大きなギャップが生じます。

ひとくちに言って、『古事記』や『日本書紀』はもう時代遅れです。

誤訳が多過ぎるので、文献として『古事記』や『日本書紀』は落第だからです。

もちろん、ヲシテ文献が忘れられたことも混乱した大きな要因のひとつです。

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気が急くのはわかります。

でも、「直訳偽書の秀真伝(しゅうしんでん)族」にすると、

本当にひどいチャランポランなんですね。

ヲシテ時代の「イサカワ」を現代漢字訳して「伊佐川」にして探すようなものです。

伊佐川なんて、現代にも明治時代にも江戸時代にもあるわけが無いです。

直訳はインチキです。「直訳偽書の秀真伝(しゅうしんでん)族」と呼ぶのはこの理由からです。

売国の行為と一緒です。並びます。

インチキの「神代文字」を使う映画なんて、本当にバカみたいです。

ムー民相手の映画を撮る目的なら、それは納得できますね。

中共中国共産党)」お好みの、わが国おとしめのプロパガンダです。

そんな、インチキのプロパガンダのゴミを作って何を言いたいのか? 

わが国はダメでバカだったと言いたいのか?

でもそれは真実ではないですよね! 

わたくしたちのクニをおとしめるのが目的なのか?

一体何なのでしょうか?  不思議なことです。

 

そんな、いうなれば売国に染まったようなチャランポランの事柄と、

真面目な事とは、区別をしっかりとします。

今日の明日の食べ物の事で、100年先のわたくしたちの尊厳を売り渡して良いかどうか?

その事を、ツルギの切っ先を突き付けられて問われたのが、

ウクライナへの侵略戦争でした。

21世紀になって、そんな前時代的な戦争は、もはや無いと、みなみな思って信じていたのでした。

ところが、ロシアは、おそろしい国でひとつも昔から変わっていませんでした。

この21世紀の時代に、侵略戦争を始めました。

しょうがないか? なんて、気楽に思って対応していたら、

それこそロシアの朋輩(おともだち)の「中共中国共産党)」は、さらに侵略を始めます。

ここは頑として、No・ネバ―を突き付けねばなりません。

かつてのチェンバレンの悪い道筋を歩んではなりません。

中共中国共産党)」とこれからも、やさしく共存してゆく道もないわけでもありません。

そのミチを探ってゆきましょう。

中共中国共産党)」は、世界支配の野心を放棄する事ですね。

簡単な事です。

 

 

 

 

カガミ得るなりのウタのこと。

アマテルカミのみこころを、現代に!

そう思う日々で御座います。

「たまぼこ」は、

ヲシテ時代の「タマ(「トのヲシヱ」)」と、サカホコの事でしょうか?

不思議です。明治天皇さんがヲシテ文献をご存じないはずですが、

大きな根幹の精神は理解を為されておられたのでしょうか?

とにもかくにも、真面目にやっていることを「けなげ」だと、明治天皇さんも褒めておられます。地道にまじめにやってゆく事に、いささかにもアテナシて悪く言う人はフツーのヒトには居ません。区別をしましょう。

それで詠んだウタが次です。

  タマホコの ミチはほのかに

  ノビやかに ひとつ思ひて

  カガミ得るこそ

わたくしたちに、エールを送ってくくださいましたのが、

明治天皇さんでしょうか。

「たまぼこ」のみちとは、『古事記』や『日本書紀』に隠されたわが国の本当の大切な「ミチ」です。

ヲシテ文献の発見以前に、明治天皇さんが、この思いに感じられたのか?

… 縄文以来の1万年にもなんなんとする、わが国の大文明の、 文化・文明のその巨大さを知ることになります・

 

マキノジンを頂きました。牧野富太郎さん由来のお酒です。「秋の虫」のウタのこと。

「マキノジン」牧野富太郎さんのゆかりのGinです。

かの名だたる銘酒、司牡丹さんのGinです。

マキノジンは司牡丹さんのGinだそうです。

「スエコザサ」も発酵に入れたり、風雅なお酒です。

司牡丹の日本酒のお酒は、これまた名だたる銘酒です。

口当たりも良いです。

しかも、司牡丹のお酒は、

どれほど飲み過ぎても、さっぱりした朝を迎えます。

来春には、牧野富太郎さんの朝ドラが始まります。

楽しみです。

今は、BSで、「芋タコ南京」の田辺聖子さんの朝ドラが再放送されていて、

毎朝、楽しみに見ています。

わたくしも尼崎の同人誌「アマゾン」で、彼女とはほんの少しはご縁もありました。

田辺聖子さんとは顔合わせもしたこと無いような遠い遠い遠いご縁です。

広いようでも、世の中は、どれほど遠くてもどこかで繋がったりもしているものなのですね。

遠くても案外に近い人の縁。

何処か空似の、人の縁。

また、このあいだも、人違いなのに、あの人だと、間違われてビックリしました。

先方は、ダンスの先生だと言うんですね。困っちゃいました。

わたくしは、ダンスの教師の資格は持っていません。

でも、強烈に、ダンスの先生だと言い張るのですね、その人は。

こんなにも踊らせてくれるのは…って言うんですね。

他人の空似は、多いもので御座います。

同姓同名なんて、もっともっと多くて「池田 満」は、やったらめったらあります。

茨城県の地方の医院で、同年同月生まれの「池田 満」さんと出くわしたこともありました。

まだまだ、ビックリ仰天する事は尽きません。

長生きのために、「マキノジン」。一献頂戴いたします。牧野富太郎さんをしのびます。

ありがとうございます。

おかげさまで、心房細動は落ち着いてきました。2回目のカテーテル手術は必要ないような術後の経過になってまいりました。

この調子なら、『ホツマ 日本の歴史物語』の3冊目を年内にまとめなくてはなりませんですね。

でも、解り易いように記述を目指して、筆の進みは難航しています。

                 ・

藤原定家冷泉家の法要の秋山会での献詠歌のお題が「秋虫」でした。

あきかぜに 色こくなりて 八重むぐら この世の夢と 虫も今宵と

抵抗勢力を、詠みました。

こちらの戦略は、何にも大したことはありません。

スミヨシさんのごとく「やさしさ」の事のように、

今、この現在では、とにかく長生きです。

抵抗勢力のみなみなさまを順々にお見送りしてゆくのもひとつの仕事です。

本当に本物をわかるヒトが、

本心に寄り添ってくださいますことを望むだけです。

 

 

安倍さんの訃報に。

凶弾に倒れられたこと、回復を切に祈っておりましたが、

残念な事に、回復ならずとの悲しい知らせだけでした。

儚いもので御座います。ヒトのイノチは。

          ・

出来るだけの事を尽くして、悔いのないようにしたいです。

わたくしたちは、ヲシテの真実を知って、

長く、3000年来の歴史改竄を目の当たりにしたのでした。

この真実を、「ヲシテ国学」として国家再構築に活かすことに目覚めました。

記紀をぶっ飛ばす。新しく「国学」をヲシテで興す。

このこころざしを、松本善之助先生から受け継ぎました。

20年前には、陰であざ笑うひともいました。「そんなこと、できるわけがない」と。

でも、真面目に訴え続けてきましたら、真意を理解して下さるお方も現れて来てくださいました。

あきらめるわけにはまいりません。

「ヲシテ国学」を樹立してまいりましょう。

どれほど、大変な道のりでも、逃げたり投げ出したりはいたしません。

 

京都の立候補、安達悠司さん、参議院選挙。

今日(6月25日)に、聞いてびっくりしました。

京都の安達悠司さんが参政党から、参議院選挙の京都選挙区から立候補です。

今日貰った名刺は、見開きになっていました。

見開きの内側には、簡潔にくわしく書いていました。

もちろん、ヲシテの国学の樹立の実現には政治活動も必要にもなりましょう。

まだ、政治の方には時期が至っていないかとも思っていました。

でも、立候補なさったら、出来るだけ応援したいと思います。安達悠司さんなら、

良いところまで持って行ってくださいますでしょう。ヲシテも随分と読み込んでおられます。

まさに、憂国の志しで立候補の決意をなされたようです。

 

ただ、わたくしは一日前に期日前投票に行ってきたところでした。

京都府に在住のお方、投票が可能です。よろしくお願い申し上げます。

小笠原長武写本の裏打ち修理が完成しました。

小笠原長武さんの写本は、序文と1アヤから16アヤまでは、

松本善之助先生が発見されて、今はわたくしがお預かりしております。

17アヤから40アヤまでは、宇和島の小笠原長明さんの所蔵です。

昨年に、スキャンさせてもらうために拝見しましたら、

虫食いが進んでいて、スキャンの前に裏打ち修理が必要と判断しました。

お預かりしてきまして、裏打ち修理が終わりました。

小笠原長武写本のワの4冊です。

小笠原長武写本のヤの4冊です。

「ヲシテ国学」の樹立には、多くの仕事があります。

ヲシテ文献の捜索もあります。

ヲシテ文献の保存も大切です。

ヲシテ文献の真面目な研究も大きな仕事です。

そして、啓蒙の仕事もこれから大切になります。

また、「直訳偽書の秀真伝(しゅうしんでん)」族の一掃排除の仕事も、

手間ですけれど、

重要な仕事です。

それらが、ある程度進んできたら、今度は、本格的な学校作りに取り掛かるサインでしょう。

ホタルブクロが咲いております。

ホタルブクロは、可愛い花です。ホタルを入れたらもっと素敵かも?

『ホツマ 縄文日本のたから』の在庫が無くなったので増し刷りです。

販価も上げざるを得ないようです。

修正したいところは、残りなく修正が出来ました。

読み直して、女房が感心しておりました。原文の文章を写経し始めて、やっと、漢字以前のわが国のすばらしさが実感出来て来たようです。

やっぱり、ヲシテは原文の写経からですね。

ヲシテ時代語、現代用語、江戸時代語など

松本善之助先生は、『現代用語の基礎知識』(自由国民社)の編集長として、

活躍なさいました。

「現代用語」と江戸時代語とはずいぶんと違いがあります。

さらに、奈良時代語にも大きな違いがあります。

さらにもっと、漢字以前の時代のヲシテ時代語とはビックリの違いがあります。

簡便にポチィっとコピペするとおかしくなるのです。

時代錯誤がここに起きるからです。

例えば、簡単な言葉での例を挙げてみましょう。

「水」の言葉は、ヲシテ時代語では「ミツ」です。本来はヲシテ文字で表現したいところです。ブログの記事でありますので、簡易にカタカナ書きの「ミツ」といたしました。

現代用語では「水(みず)」ですね。

でも、ヲシテ時代語で言いますと、露になって可視化してくる「液体」の意味が、

大きなイメージの意味にあるのです。

「ミ(見えてくる)・ツ(集まる)」のイメージです。

この感覚のモノを「ミズ」とは、ヲシテ時代語では決して言いません。

時代における言葉の感覚の違いは、まさに「時代性」と言えるものです。

5要素の、ウチのひとつ。

「ハニ」の言葉も現代語では理解がむつかしいモノです。

もちろん、ヲシテ時代の中期にも混乱が見られたほどですから、押して知るべしです。

ヲシテ時代の初期には「縄文哲学」がしっかり認識されていましたので、

「ハニ」は個体の概念でした。

ところが、ヲシテ時代の中期にもなると、

けっこうあやふやなイメージが付いてきます。

「ハニ」と「ツチ」との混同が為されてゆきます。

時代によって、感覚が変化してくるものなのです。