「帝紀」「旧辞」の『ホツマツタヱ』などヲシテ文献を読み解く!

『古事記』『日本書紀』の漢字翻訳前の原書が『ホツマツタヱ』です!

古い常識、新しい常識。問い合わせには連絡先をお知らせください。

記紀原書」の発見は、50年ほど前の事でした。

江戸時代には、『春日山紀』(溥泉、安永9年、1780)木版印刷で出版もされていました。

ndlsearch.ndl.go.jp

春日山紀』には、『ホツマツタヱ』や『ミカサフミ』からの引用文が、

原字のヲシテで数多くの文章が掲載されています。

しかしながら、記紀の原書であるとは、溥泉さんもいまだに知るところではなかったのでした。

松本善之助先生が、記紀との比較研究を開始したことにより、

ホツマツタヱ』などヲシテ文献が『古事記』・『日本書紀』の原書であること、

この新発見が起きたのでした。

           (昭和48年1973、の刊行)

ですから、50年前からの新知見です。

新しい常識が、付け加わった事になります。

              ・

この新知見を世に広めるべく、

『定本(ていほん)ホツマツタヱ』(池田 満、展望社)を、

上梓しています。

 

さらに、国語のヲシテによる醸成があったことを、

さらなる新発見で、

 

 

 『よみがえる日本語』(明治書院)

『よみがえる日本語Ⅱ』(明治書院)

 

 

を上梓してきております。

すなわち、新しい常識が、ここに広まるべしなのですね。

           ・   ・

古い常識だけにとらわれて、新発見の新知見に触れられておられない、

お方も、まだまだ多いので御座います。

不明な事がありましたら、本名を名乗ってくださってお問い合わせください。

ちゃんとしたお答えをするためです。

富永仲基の伝記小説です。書題や帯を訂正したい。それで、再出版も!

良く書けています。

富永仲基の諸伝の少ないところを、良く調べて綴ってくれたものです。

エンディングのところなど、涙なしには読めません。

富樫倫太郎さんが、偶然に出会って、それでのめり込んだ、

富永仲基。

富樫さんは、富永仲基の生きざまに感動したようでした。

わたくしは、発見したその原理に感動しました。

この本は、もう、売り切れていますので、

わたくしは、偶然に古書店から入手したのでした。

国会国立図書館にはあると思います。

今は、遠くの図書館からも取り寄せてくれたりします。

 

追記(1月21日)

女房も、とっても良い書だと絶賛しています。

書題と帯に訂正変更を入れたいと、考えるようになりました。

何故ならば、『風狂奇人』だと、変人奇人がとんでもないことに

囚われて苦しんだようなイメージです。

そうじゃないのですね。

富永仲基の天才は、中世の迷妄をロジックで吹き飛ばす大胆な転換点を作ったことです。

それで「加上如来」です。

如来は、すぐれた知恵の持ち主を言います。

このため、わたくしが書題を付けるならば、

『加上如来行状記  ー天才、富永仲基の生きざまー』

としましょうか。

また、

帯の文章には、次のようにしますね。

クニトコタチ以来の大天才、富永仲基!

三教の峻別をとらえて、わが国の「トのヲシヱ」の原理を明らかにした!

それも、ヲシテ文献を読むことなしに為し得た!!」

このような路線の文章ですね。

再出版しても良いかもとも思うほどです。

その際には、本文の内容にも、多少手を加えて頂ければ…… 、と思います。

 

 

「カガミ」か「カカミ」か? 追記、12月22日・23日。

ヤマトタケさまがカツサ(房総半島)に渡られた際に、

サカキにカガミ(鏡)を掛けて迎え待つ人が居ました。

ホツマツタヱ』39アヤ37ページには、

と記されています。「ガ」は内側の鬚濁点です。

内側の鬚濁点は、ヲシテ時代からあったと考えられます。

外側の二点濁点

は漢字時代になってからの付加されたものです。

文脈からも39アヤ37ページの用例の「カガミ」は「鏡」の意味だと取れます。

さて、

「鏡」を掛けるとは、特別な意味が込められてあるのか?

辻さんは、7アヤの事ではあるまいか?

と、気付いたとのことです。

オモイカネが心配して駆け付けると、

ツハモノヌシがサカキに、ニタマ、マフツのカガミ、ニキテを掛けて祈ったのでした。

それは、アマテルカミが愛おしいハナコヒメを亡くされて意気消沈なさっていたのを、

お慰めするためでした。

まさに、

ヤマトタケさまも、同じ境遇にあったのですね。

ヲトタチハナヒメが海に飛び込まれてしまって、

悲しみに暮れていたのでした。

オオカシマや、カトリ・カシマ・イキスのゆかりの人達が

ヤマトタケさんを気遣ってお慰めするべく、

待っていたのですね。

それで、「カガミ」を掛けて7アヤの時のようにして待ったのでした。

 

追記(2023年12月22日)

さらに、7アヤでの「アガツマアワヤ」

と、39アヤでの「アツマアワヤ」

本歌取りなのですね。

この故に、

カクの実を掲げることがとても意味深いものとなるわけです。

               ・

これは、良い回答でした。

また、

スクナビコが鏡を船に掛けて来た時の事だ。

と言う人が居ました。

「え?」

スクナヒコは「ビ」の用例はありません。

スクナヒコナの方が用例が多いです。

「スクナビコ」と「ビ」に訛るのは『古事記』です。

「少名毘古名神」と濁音の「ビ」に誤翻訳しています。

日本書紀』では、少しはまともで「少彦名命」です。

人物として取り扱っています。

古事記』の濁音説で「ビ」と読むのは、ダメ訛りですね。

さらに、『古事記』は「神」として神話にしてしまっています。大間違いです。

古事記』はまったくもってひどいものです。

古事記』に毒されてはなりません。

           ・  

さて、

スクナヒコナのところでのことは、はたして鏡であったのでしょうか?

「クシキネ」はオオナムチのイミナ(実名・まこと名)です。

オオナムチは、右のトミであったのです。

「カ」のカミ(司)ですね。

この用例での表記は、

「カゝミ」となっています。

でも同音記号の踊り子文字「ゝ」は、

漢字時代になってから付加されたモノですね。

もともとは「カ」であったはずです。

つまり、

と記されていたはずですね。

清音の「カ」です。

「カカミ」のフネとは、「右大臣」の「ミギのトミ」のフネのことだと、

これも辻さんの読み解きで解った事でした。

「カガミ」と「カカミ」大違いです。

         ・

「鏡の舟」ではなかったのでした。

勿論のこと、『古事記』・『日本書紀』での誤訳の

ガガイモの実を割って作った舟。」でもありません。

「天の羅摩船」と直訳しては意味を取り違えます。

誤訳を直訳すると、どうしようもない世界に入り込むのですね。

 

追記(2023年12月23日)

「ヰナカにすみて サワお(を)みす」の意味について

合田さんから、語釈が寄せられました。

ヰナカにすんて(住んで)

は、

「狭い井戸の中に住んでいて(澄んだ水にひたって)

サワ(川)の流れを見ないでいて(独りよがりですね)」

の意味であろうと。まさにそうですね。

井の中の蛙」に似てもいますが、これは荘子の作です。

荘子の「秋水篇」の「井蛙不可以語於海者、拘於虚也」が由来ですから、

他人の空似のごとしです。ヲシテの方にはカエルは出てきません。

そう言えば、

つい、この間も、

よく似ていると、他人と間違えられたことがありました。

もっと個性を磨かねばなりませんね。

 

笠山荒神のこと


ホツマツタヱ』8アヤの39ページの

「ササヤマ」は笠山荒神のことではないか?

辻さんの説です。「日本第一」のうたい名を主張しています笠山荒神

訪ねてみましたら、けっこうな山の上でした。

www.kasasoba.com

蕎麦が名産になっていました。美味しい蕎麦です。

水曜日は、神社前の蕎麦は定休日。参道の石燈籠の多さにびっくりです。

お能の「野守」の「八面玲瓏」の元になった池は、

春日の杜とつなっがっているとも言われる此処でもあるようです。

www.tessen.org

池を見てみます。

世界の混乱が映し出されているようです。

左奥のカメのような、木材の破片のような?

なんなんでしょうね?

二週間後にまた行った女房は、もう沈んできていた。と言っていました。

            ・

「カ・モ」の書です。(出典『ホツマツタヱ』38-54)

 

 

縄文カレンダーが出来ました!

縄文カレンダー2024年度版

もう、9年目だそうです。

段取りも良くなって、11月より前に完成したとのことです。

トホカミヱヒタメの意味が実感できるのが季節感との一致です。

どうしても、旧暦での感覚を思い出してもらってこそ、

ホントの意味でのトホカミヱヒタメを実感できます。

江戸時代に流行った、あだ花の「トホカミエミタメ」は劣化コピーだと、

気が付いてもらうには、是非とも必要なのが旧暦の季節感の取り戻しです。

ご注文は、「喜びの種」の喜子(よしこ)さんへ、お願いします。

『縄文カレンダー』2024年度版🌟出来ました! - 喜びの種☆

blog.goo.ne.jp

 

『ニーチェのふんどし』奇抜なタイトル

ニーチェのふんどし』とは、とても奇抜な本のタイトルです。

そもそも、牧師の家庭で育ったニーチェですが、

アンチキリスト教になっていったのでした。

「ヲシテ国学」での「アメのミチ」の本質に目覚めるのは、

現代には、ニーチェ後であることが必要であるかも知れません。

宍道の大野豆富店さんのこと。美味しい油揚げの秘密!

もう、10年近くになります。

美味しい豆富や油揚げを、松江の大野豆富さんから送ってもらっています。

松江の宍道の大野豆富さんの取材が、ユーチューブに出ていました。

やっと、そのおいしさの秘密がわかりました!!

www.youtube.com

https://www.youtube.com/watch?v=t35VxJQF1I8

豆を多く使って、濃い豆乳を作っているんですね。

また、お水もイオン水にしているとのことです。

 

と言いますのも、出雲大社大遷宮の際に、女房が参拝に行って、

その時に道の駅で、油揚げをお土産に買って来てくれたのでした。

(たった1枚だけが残っていた)

その1枚を焼いて、食べてビックリ。あまりにもおいしい!

さっそく電話して、宅急便で送ってもらいました。

それから、毎月ぐらいに送ってもらって、もう、かれこれ10年になります。

何かお土産は?

と聞かれて、わたくしは、いつも「油揚げ」と言いますので。

犬も歩けば、式ですね。 おいしいお豆富・油揚げに出会えたのでした。

また、豆乳が格別のことにおいしいです。

大野豆富さんの豆乳は、まったくの別物のように美味しいのです。

 

「豆腐」は「くさるの・腐」でイヤ字ですから、

大野豆富さんも、「富」で「豆富」と書いているとのことです。