『古事記』・『日本書紀』の原書が、『ホツマツタヱ』などヲシテ文献であると、
そう理解しますと、
国語と歴史について、再認識の必要性を思うようになります。
まず、ここのところ、そうは思わない人も有るようです。
岐路の第一番のところですね。
未来に修正を企画してゆこうと、そう思うかどうか?
そう思わない人は、
こころざしを異にするひとです。わたくしとは。
国語についてのことで、
今の「あかさたな」の基礎を、そのまま良しとするかどうかですね。
本来は記紀の原書で「あかはなま」が国語の基礎であるとわかったのですね。
大きな過誤が此処に有った、それは、不具合なので直すべきなのです。
そうは思わない人も居ます。
こころざしを異にするひとです。わたくしとは。
かつて、
わたくしの事を、「あかはなま」で辞典を作ろうとしている、
と、嗤(わら)って言っていた人が居ました。
雑誌の編集に関わる人でしたが、決別しました。
こころざしを異にするひとです。わたくしとは。
「直訳偽書の秀真伝(しゅうしんでん)」の人ですね。
国語の基礎には「あかはなま」を据え直さなくてはならないのです。
わが国語をいつくしみ、愛するが故です。
なお、
来年の8月の「京都ヲシテ講習会」が第3週ですと、
8月16日になります。
この日で良いかどうか?
お盆の送り火の日です。
来月に決めます。お考えを練って下さい。