お世話になっております、松本不二子さんも無事に退院の事、
さしあたっての上京の用事も無くなりました。
ホッとした半面、上京しないのも物足りない感が御座いました。
森田さんのお骨折りで、神道史学会とご縁が出来ました。
若いころから読んでいました、平泉潔先生の「日本」の系譜につながります。
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神道史学会で、ヤマトヒメさんのご遺跡を訪ねました。
ヤマトヒメ神社です。
何回も参拝はしてきていましたけれど、ご陵所に遡るのははじめてです。
大正時代の創建です。立派に古色蒼然としています。
すでに、100年ですか。もう、100年と言うべきでしょうか。
実際に、そのお墓は、すぐ近くにあったらしいです。
神道史学会の面々も、初めてのお方も多いようでした。
墳墓地のあった山は削ってしまったそうです。
それで、良く解らなくなっちゃって、です。
岡田登教授の発掘収蔵の貴重なお宝です。
あたり、グチャグチャの中からの発掘も大変です。
銅の合金の溶融遺物も拝見させてもらいました。
持ち重みする、truthの合金でした。カメラがうまくゆかずに撮れませんでした。
長さ3cmほどの塊でした。
ふたつあって、ひとつは銅と亜鉛が多かったそうです。
もうひとつは、銅と鉛が多かったそうです。
ともに、銅鐸の溶融物ではあるまいか? というのが、岡田教授の見解でした。
削採面の光沢は、ふたつともすばらしい金属光沢でした。
さすが、岡田先生です。錆びている小さな塊でも見逃さず、溶融物を発見なさいました。
さて、肝心の本当のヤマトヒさまのご陵のあった表土のところは、
結局のところ、削られてしまって、今は近鉄の宇治山田駅のところの、
地盤改良に埋められたそうです。明治の頃は、そんなもんなのでした。
やむなしと言ったところで御座います。時代です。
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神道史学会の発表は、いろいろ面白かったです。
御所の「御黒戸」のこと、泉涌寺との関係の事、石野浩司さんの発表は素晴らしかったです。
ヘンな陰謀論的に話をややこしくする学者も多いのでした。
でも、真相は、至ってシンプルな事だったと、
石野浩司さんは、地道な考察作業から解き明かしてくださいました。
「御黒戸」は、さまざまな女官さんたちのこころの依り代の集合体。
そう言った理解が、いちばんそぐわしい。
こんな風な理解で良さそうだと思います。
石野浩司さんは、泉涌寺に、10年お通いになられたとのことです。
それぐらいは掛かったと思います。貴重な報告で御座いました。
有り難い事で御座います。
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さて、翻って、ヲシテ文献に理解を求める方の感覚は、
まだまだ先の先の、もっと先の、お話しになるような雰囲気です。
漢字文献の常識で理解できるように「訳して」もらったら、
ちょっとは考えてみてもいいかも? のレベルです。
まだまだ、まだまだ、先の先のお話しで御座います。
それで、森田さんとも、帰り道筋で「長生きしましょう!」 と、
誓い合いました次第で御座いました。
日蓮上人の誓いの井戸がありました。
ムラサキシキブの花が咲いていました。