「帝紀」「旧辞」の『ホツマツタヱ』などヲシテ文献を読み解く!

『古事記』『日本書紀』の漢字翻訳前の原書が『ホツマツタヱ』です!

富永仲基のお墓参り、西照寺

富永仲基のお墓参りです。

今年は、サクラが早いので、
今日墓参いたしました。

温かでしたけれど、まだチラホラでした。

お墓とは言っても、招魂の石碑です。
生まれて来るのが早かったのでした。
かの天才の富永仲基、彼の自称「加上菩薩」は、
その意味が当時には理解されなくて、
お墓にも入れてもらえなかったのでした。
それで、のちのちに招魂碑がようよう建立された次第です。
時々、思い焦がれては墓参しています。
西照寺は口縄坂を降ったところです。
サクラが美しいです。
本堂の真裏に富永家のお墓がいとなまれています。

砂岩の墓石は風化が進んできていました。

 

31歳での早世、悔やまれてなりません。

ひのもとの にしてるてらの

井の水を はしり咲きたる

ひともとのはなに

 

ときわとも 変わらず巡る

ハルの陽や よる年波も

打ち返すチカラの 

タカノハダイでした。

毎週、お魚屋さんが来てくれます。

本日は、タカノハダイです。

ウロコを取ったりの下料理をしてくれていたので、「鷹の羽」の斜めの黄色の筋が薄くなっていました。

尻尾の白の斑点は良く残っていました。

大きなお魚。

そう言えば、

むかし、海幸山幸の、サクラギさん(スセリ)と、ホオテミさんのときの、

魚釣りの獲物も、このぐらい大きなお魚だったのかも知れません。

ホツマツタヱ』25アヤ8~9ページ

山幸のホオテミさんは、海釣りには詳しくなかったのでした。

釣りの初心者だったのですね。

それに反して、かかった魚は大きかったのです。

釣り針を取られるぐらいの、大きさですね。

グチ(イシモチ)が掛かったとされています。真偽は不明でしょうね。

初心者が釣り針を取られたのですから、そお魚が何だったのか?

わかるはずもないと思います。

          ・

今日のタカノハダイは魚長40cmでした。

大きなお魚で、鍋にそのままは入りませんでした。

こんな田舎でも、お魚屋さんが来てくれたりして、優雅な生活を楽しめます。

頭の方が女房、尻尾の方はわたくしとウチではなっています。

お花のブーケのダンスの先生

去年の10月に知り合ったダンスの先生は、
お花屋さんでした。

いろいろな花束ブーケ、とくに
母の日のブーケが好評です。
とっても素敵なブーケ。

翌日配達お花屋さん
12月にはクリスマスのブーケをいただきました。
介護施設のメソメソの人に、お裾分けしましたら、
びっくりするほど喜んでくれました。
メソメソして塞ぎ込む人が、見違えるほど明るくなったのです。
お花の威力は、絶大ですね。


ダンスの相性は、とっても難しいです。
技術のレベルのくい違いもあります。
でも、技術的に上手でも相性が良いとも限りません。
単純に上手ヘタだけではないのが難しいところです。
感性の要素が大きくあります。
わたくしと合う感性の、ダンスの先生のお花屋さんです。
何かのおりに、ブーケはパッと楽しく明るくしてくれます。

 

雪に閉ざされました。ズームで配信だけとします。自宅からWebです。

予報を見ていたら、大した事はないと思っていました。

一夜明けると、真っ白。

新名神は通行止めですし、青山峠は危なそうです。京都に出るのは困難です。

今日、1月28日は、自宅からのズームで配信いたします。「ヲシテ講習会」

こんな雰囲気でしたら、近鉄電車も平常運転には危うい予感を持ちます。

久しぶりの雪景色です。富雄の丸山古墳から、大型のツルギとカガミが出土したとのことです。

モモの樹に雪が乗りました。

寒さに手がかじかんでいますが、

藤原定家の法要の小倉山会の献歌のお題は、「夏の浦」でした。

 ヒアフギの 花はほのほの

 火祭りの 火照りを冷ます

 夏の浦風

        ・

「コカネウノトリ」のこと、

山脇さんから、新解釈です。

すばらしい解です。

カク(タチハナ)にも雪です。

寂しい葉のことは、去年の晩秋にアゲハの幼虫に葉が喰われてしまいました。

今年は、アゲハにやられないように気を付けます。

              ・

奈良市の富雄丸山古墳は4世紀後半とのことです。

2メートルを超す長さのツルギ。

60㎝もの長方形のカガミ。

4世紀後半なら、11代のイクメのキミ(垂仁天皇)か、12代のヲシロワケのキミ(景行天皇)の時代であるようです。

さてさて、いよいよ、ヲシテの文字の出土も近づいてきたような感じを持ちますね。

西暦と、アススの年代との比較の接点は、ふたつあります。

ひとつは、

アスス631年の、ハシハカです。

箸墓古墳の築造時代は、奈良県橿原考古学研究所の推定で、炭素14年代測定法により280~300年(±10~20年)。

            ・

長雨の記事も、西暦との接点になり得ますようです。

アスス512年のナガアメは、西暦の127年の気候と合致するようです。

以上の2点の接点から、4世紀後半なら、11代の垂仁天皇か、12代の景行天皇の時代と言えそうです。

 

 

「倦まずたゆまず」出来得ることを出来るだけ。

古事記』や『日本書紀』は、ひどい誤訳をしたものですね!
こう言った話が、ようよう通じるようになって参りました。

この事実を踏まえてどうしてゆくか?
その思いに至るには、
先ずは、ひどい誤訳をして来ていたことを認識する事が重要です。

イラ(ブダイ)珍しいお魚です。尾鷲の魚屋さんが来てくれます。

古事記』や『日本書紀』などの漢字文献は、
どれ程ヒドイ誤訳をして来ていたか!
が、わかってくると、今後の有り様に思いは馳せてくるはずです。

               ・

「直訳偽書の秀真伝(しゅうしんでん)」から、徐々に世の理解は進みつつあります。

まだまだ、先は長い話で御座います。

「倦まずたゆまず」は本居宣長の言葉でした。

彼も、ひとつぐらいは良い事をしていました。

「カケのマメなせ」

元気に退院してきました。心房細動のアブレーションです。

手術中に、ぐっすり眠ったためか、

夜眠れなくて、徹夜で作業をしていましたら、

看護師さんがビックリしていました。

アマノコヤネも、「かけのまめなせ」と言っています。

現代語で言うと「陰のマメ(忠節)をしなさい」と言ったところでしょうか。

人知れず、真面目にコツコツやってゆくと言う事です。

ずっと、難航していた章に目途がついてきました。